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>> 今のこの時代に、35ミリのフィルムで撮影することに対して、
私は「 頭がおかしい」と、よく言われます。
35ミリで撮り続けることは困難で、大きな現像所が閉鎖されたので、
パリに小さな現像所を見つけて、撮影中、 ジョージア( グルジア )から週3便、
フィルムを送り続けました。

監督ギオルギ・オヴァシュヴィリのインタビュー記事を読みながら、
このままでいいのにな…と思っていても、新しい形へ次々と置き換わっていく
多くの物や物事のことを、考えていました。
草創期からフィルムで撮られてきた映画も、短い年数でデジタルが主流に移行し、
みる場合も35ミリフィルム上映の映写機をそなえた映画館がすでに
数少なくなりつつあるのだそう。

グルジア映画、「 とうもろこしの島 」。

春の訪れにより川は水量を増し、コーカサスの肥沃な土が運ばれて中州を作り、
土地の農民たちは、その小さな島に渡って玉蜀黍(とうもろこし)を栽培する。
パンの材料になるその作物は、収穫期に刈られ、
秋が来て川の流れが急になると、島も流され消えてしまう。
それから冬がすぎて、また春が巡り来ると、別の場所に島ができて、
人々はふたたび、土を耕し、種をまく。

人間たちの間に交わされる言葉は少なくて、水音や鳥の聲( こえ )をきき、
草ぶき屋根の小屋にくらし、籠罠で魚を漁り、耕作する生活。
普遍的なものがしずかに、描かれていました。

グルジアは、美しい映画を作るところという印象があります。
セルゲイ・パラジャーノフやオタール・イオセリアーニ、
ギオルギ・シェンゲラヤの「 ピロスマニ 」、
テンギス・アブラゼの「 懺悔(ざんげ)」は何年前だったかな…。





 -「 Simindis kundzuli 」 2014 George Ovashvili
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2016/12/1 15:15 com(0)
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