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2020/3/17 09:54 com(0)

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朝 
   - トラピスト修道院 -
            北原白秋



揺りいずる鐸(すず)のかずの
六つあまり、七つか、八つ、

夜はあけぬ、麺麭種(パンだね)の
粉(こな)かとも花は咲きて、

露(つゆ)ながら、人はあり、
いのりつつ、野に刈りつつ、

しづけさや、よき寺や、
カトリコの朝弥撒(あさミサ)や

鷹(たか)のごと光るもの
山の氣(き)に吹きながれて、

美しき八月や、
翼(つばさ)ただ海を指しぬ。





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2019/8/4 18:17 com(0)

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きれいな青…と手に取った一冊の詩集。
北原白秋 「海豹と雲」(かいひょうとくも)
昭和四年(1929年) アルス社刊

木版の表紙が美しく、白秋がつむぐ一篇、一篇が美しく、
一冊の詩集に残されたものの深さを感じます。






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2019/8/4 18:02 com(0)

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「鋸碗匠」が映画の中に見られるのは、
中国映画「我的父親母親」。
日本では「初恋のきた道」という邦題で2000年に
公開された作品で、監督は、張芸謀(チャン・イーモウ)。
東京では渋谷のル・シネマにかかり、その時に観て、
数年後、銀座の映画館でも観た記憶があります。

華北の山間(やまあい)の小さな村を舞台にした
可愛らしい村娘の話。
穂を揺らす小麦畑や白樺林、黄葉に染まる山々を背にした
秋の野や、灰白色に包まれる一面雪の冬景色、
四季の風景が美しく、青年を一心に想う娘の一途さが
ひとの心をとらえる作品なのですが、
昔ながらの生活や風習にも目をひかれます。

「鋸碗匠」が姿をあらわすのは、物語の中盤、
天秤棒を担ぎ、カラカラと鐘をならしながら、
「瀬戸物直しはいらんかね…」と、
村の小路を歩いていく。

「お願いするよ、入って」と、娘の母親に招びいれられた
老鋸碗匠は、われた青花の器の破片を合わせ、
細縄で結び、糸を使った弓型の手廻しロクロで穴をあけて、
鎹(かすがい)を玄翁(げんのう)で、
コツコツ…と、叩いて打ちこむ。
短いけれど印象的な場面です。





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2019/3/14 08:27 com(0)

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>> 私が子供のころですから、大正七、八年ころだったでしょうか、
山の手の屋敷まちにはよくロシア人の羅紗(らしゃ)の行商や
中国人のやきもの修理屋がやって来たものです。

日本人の行商とちがって、突然、堂々と玄関口から入って来て、
たどたどしい日本語で、土瓶かけ茶碗かけと言って
修理するものをださせるのが変っていましたが、
良いなおしをしていました。

弓型の手廻しロクロをあやつりながら、鎹(かすがい)の穴をあけて、
小さな槌(つち)で鎹(かすがい)をうちこんでゆく仕事が面白くて、
よく観察したものです。
震災のころまでは、こうした中国人の修理屋さんが
沢山いたのですよ…

「骨董勉強ノオト」 繭山康彦著より

2019/3/12 06:38 com(0)

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>>たいていの瓷器(しき)は、ひなどりの膠(にかわ)と
糯米(もちごめ)の糊(のり)をまぜ合せたものをつけたうえ
縛って陰干しにすれば、強く接着される。

※瓷器(しき):土器より堅い焼き物。
 磁器成立以前の原始的なものをさすことが多い。

定窯(ていよう)の器皿が破損したときは、楮(こうぞ)の樹液を
もちいるべきである。樹液を濃く塗って、つよく縛ったうえで
陰干しすると、再びはなれることがない。

※定窯(ていよう):唐後期以来,河北省曲陽県澗磁村で
 おもに白磁を焼いた名窯。

官窯青磁(かんようせいじ)の破損には、ひなどりの膠(にかわ)と
青竹を焼いてとった灰アクとを混ぜて塗り、つよく縛ったうえ
湯で煮沸する。とりだしてのち三日〜五日間放置しておいて
解くと堅牢につながり、あたかも疵(きず)のないように
接着される。

しかし、ここに述べたいろいろな方法以外に、
本格的な修理の方法が、昔から中国に伝わっていた。
それは「鋸碗(チュイワン)」あるいは「鋸碗的(チュイワンダ)」
とよばれた修理人たちがおこなった鎹(かすがい)をつかう
なおしである。

天秤棒の両端に道具箱をつるし、小さな銅鑼をつけて
歩くたびに音をさせながら、街から街をながして
やきものの修理をしたもので、破片の接着部の両側に
手廻し式の弓型ロクロと銅針で穴をあけ、
熱した鎹(かすがい)を打ち込み、鎹(かすがい)が
冷却して収縮すると、破片がしっかりと固定される
しくみであった。
鎹(かすがい)は鉄、銅、真鍮などで作られていた。

「骨董勉強ノオト」繭山康彦著より



2019/3/10 23:24 com(0)

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フランスの二枚の皿。
二枚それぞれに直しがされていました。

こわれた器ものの直しについて興味深く読んだのは、
古書市で手にした一冊の本「骨董勉強ノオト」。
1974年の「芸術新潮」誌の連載をまとめたもので、
その中の「鎹(かすがい)」という章で、器の直しについて、
綴られています。

1900年代のはじめ頃までは東京にもめずらしくなかったという
「鋸碗匠」のこと、インドとペルシアで特に多くの
鎹(かすがい)直しを見たこと、海外に居住する中国人の大半が
福建や広東など南方出身であるのに、この仕事をしていた
人々は決まって北方の山東省の出身であったこと等から
古美術商の著者の考察がされていておもしろい。

ヨーロッパにはふれられていないのですが、
軟らかな土ものの器に、鎹(かすがい)直しが
ほどこされているのは、時折、見掛けるので
どのようにこれほど広く世界に伝播したのか
知りたくなります。





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2019/3/7 14:38 com(0)

セルゲイ・エイゼンシュテインの特集上映の中から、
すきな作品をふたつ。
「全線」と「十月」。

一月も半ばを過ぎたのに、捗(はかど)っていないこと多く、
読みたい本も増えてばかりで減らず、
それなのに、花屋の店先にはもう冬の終りの花
白木蓮が置かれていて、少しあわててしまいます。





「Старое и новое」 1929 Серге́й Эйзенште́йн




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2019/1/17 04:57 com(0)

エリセがみたくなって、新文芸坐へ。
「ミツバチのささやき」と「エル・スール」。

エリセにはまた長編を撮ってほしいと希っていたのですが、
撮らなくてもいいのかもしれないです。
時が流れても古びることなく多くの人に愛されている作品。

来日した時に、話したエピソードがすきで、写しておこうかな…。



「El espíritu de la colmena」 1973 Víctor Erice

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2019/1/13 23:19 com(0)

ここ数年、1月の1日、2日、3日のうち1日は
美術館か映画館に行っています。
今年は、イメージフォーラムへ。

ジャン・ヴィゴの「アタラント号」「新学期 操行ゼロ」
「ニースについて」「競泳選手ジャン・タリス」。
撮影監督は、全作、ボリス・カウフマンで、
モノクロームに沈みきえゆく川船や、
羽根舞い散るなか、枕投げに興ずる寄宿舎の少年たちの情景には、
繊細な美しさが在りました。

昨年、アンスティチュ・フランセ(旧日仏学院)が主催した
最古の映画会社ゴーモンについての企画展で
1日だけ上映されたのだけれど予定があわず、
哀しくためいきをついたのでみられてうれしかった。

初見の作品も以前みた作品もありましたが、
29歳で夭折したヴィゴが生涯に残した作品は4本で
そのうち長編は1本だけという寡作に終ったのは、
よいような、惜しいような…。

  
- 本年も宜しくお願い致します。

      jan 10 2019 recit


 「Jeunes diables au collège」(1933年)Jean Vigo
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2019/1/10 04:43 com(0)

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 Il était parti quand, le lendemain, je descendis prendre
 ma tasse de lait matinale.
 Ma nièce avait préparé le déjeuner , comme chaque jour .
 Elle me servit en silence .
 Nous bûmes en silence .
 Dehors luisait au travers de la brume un pâle soleil .
 Il me sembla qu'il faisait très froid . 1941

                「Le silence de la mer 」
                         Vercors        




 翌る朝、朝のミルクを飲みに下に降りて來た時、もう發っていた。
 姪(めい)はいつもの通り朝食の用意を濟ませていた。
 黙って給仕をした。
 二人は黙って飮んだ。
 外は靄(もや)越しに光の薄い太陽が照っていた。
 大層寒いという気がした。一九四一年
  
              「海の沈黙」
                ヴェルコール
                  河野興一訳 岩波現代叢書より


2018/11/20 06:18 com(0)
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