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>> 私が子供のころですから、大正七、八年ころだったでしょうか、
山の手の屋敷まちにはよくロシア人の羅紗(らしゃ)の行商や
中国人のやきもの修理屋がやって来たものです。
日本人の行商とちがって、突然、堂々と玄関口から入って来て、
たどたどしい日本語で、土瓶かけ茶碗かけと言って
修理するものをださせるのが変っていましたが、
良いなおしをしていました。
弓型の手廻しロクロをあやつりながら、鎹(かすがい)の穴をあけて、
小さな槌(つち)で鎹(かすがい)をうちこんでゆく仕事が面白くて、
よく観察したものです。
震災のころまでは、こうした中国人の修理屋さんが
沢山いたのですよ…
「骨董勉強ノオト」 繭山康彦著より
2019/3/12
06:38
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